« 2006年06月 | コラム トップ | 2006年08月 »

2006年07月31日

改修工事とフィードバック

釧路市内にある内科医院の改修工事をしました.主に中待合い診察室の壁に腰壁をつくるという内容でした.
sc01.jpg

入院施設のあるような大きな病院ではよく壁の下の部分,つまり腰壁を上とは違う材料にしているのを見かけます.あれは,ストレッチャー(患者さんを寝たまま運ぶ車輪のついた担架)や車椅子がどうしても壁にぶつかり傷つけたり汚したりする事が多いので,腰壁に衝撃に強く汚れにくい材料を選ぶからです.
今回の医院では,入院施設はないのでそのような配慮は必要なかったのですが,待合室では患者さんができるだけくつろいだ気持でいられるようにと,当初から腰壁に木目調の材料を使っていました.ただし,中待合いと診察室の壁はすべてビニールクロスでした.ところが,使い出してみると中待合いで患者さんが座るところは頭がどうしても壁に接するし,診察室のベッドのところは起きあがるときなどに壁にふれるのでそのあたりだけがどうしても汚れることがわかりました.一日に何十人もの患者さんが接するのでしかたありません.
そのようなわけで,今回はそれらの部分の腰壁に抗菌性があり清掃しやすいメラミン不燃化粧板(アイカのセラール)を張ることにしました.
sc02.jpg
暖かい色の木目調にしたので,落ち着きのあるいい感じになりました.

なんだおまえはそんなことも知らなかったのかと言われそうですが,今回の改修工事でまたひとつ勉強させてもらいました.

2006年07月30日

第二のふるさと・ネパール

ナムチェ・バザール(標高3440m)は世界の最高峰エベレスト山の裾野・クーンブ地方の交易の中心地です.この街では毎週土曜日に画像のようなバザールが開かれます.周辺の人々はこのバザールを目指して自分の村でとれたものを背負い,街に集まってきます.その賑わいは大変なものです.
nepal05.jpg
ヒマラヤの山々をめぐるトレッキングをしている間は,その素晴らしい景色と人々の人なつこい笑顔にふれ毎日が楽しくて夢のようでした.そして初めての場所なのになぜかなつかしい思いがしていました.

高校生の時に山登りを始め,大学では本州の山をあちこち巡っていた私にとってヒマラヤでのトレッキングはあこがれでした.最初にポスト・モンスーンつまり雨期後の秋にネパール西部の都市ポカラからアンナプルナ山郡を一周する約1ヶ月のトレッキングをしました.そこですっかり味を占めた私はトレッキングができない冬の間,インド南部を旅してまわり,プレ・モンスーンの3月・4月に再びネパールに入国し,今度はエベレストのあるクーンブ地方のトレッキングに挑みました.
nepal04.jpg

nepal01.jpg
標高が3000メートルあたりをすぎると,いわゆる森林限界の上で木はほとんど無くなります.ですから,建っている家も開口部周りや小屋組に木が使われていますが,基本的に石積みでできています.窓は小さく,空気が薄いので拡散光も少ない室内は極端に暗く感じます.でも,調理で燃やす薪のにおいは,とてもなつかしく感じたりします.
nepal03.jpg
これはゴーキョ・ピーク(標高5360m)からのゴジュンバ氷河です.あたり一面見えるものは岩と氷と宇宙を思わせるような暗い青空ですが,本当に美しい世界でした.
nepal02.jpg
私は輪廻転生や生まれ変わりといったことについてはよくわかりませんが,ヒマラヤでのトレッキングをしていてそこに住む人たちと接し,この人達はきっと自分の祖先と繋がりがあると感じました.言葉は通じなくても自然と気持は通じ合うような気がしたからです.

プロフィールにありますように私は20代の半ばに長い旅をしました.旅に出るきっかけには人との出会いと別れがありましたが,旅そのものがまた出会いと別れの連続でもありました.結果的にその2年間の旅は,このコラムの多くのネタ元になっているように,私にとってとても貴重な財産になりました.財産を切らさないようにこれからも新たな旅ができればと思っています.

2006年07月29日

優雅に繊細に

先の月曜塾例会では京都の佳水園に泊まってきた三浦さんが,その時の写真を解説してくれました.巨匠・村野藤吾が設計した数寄屋建築です.見所がいっぱいあってとても勉強になりました.
meguro01.jpg
画像は去年の暮れ,東京に行った際に見てきた旧千代田生命本社ビル(現在は目黒区役所)で,1966年竣工の村野藤吾設計の建物です.

村野の建築の特徴のひとつに屋根軒先のあつかいがあげられます.佳水園では台風でも来たら吹き飛ばされるのではないかと思うほど薄く深い軒が出ています.実は数寄屋といいながら鉄骨により補強しながら実現しているということが,三浦さんの写真でよくわかりました.
meguro02.jpg
これは旧千代田生命本社ビル・エントランスのキャノピー(庇)ですが,軽快で優雅な村野らしいデザインです.よくよく見るとどうしてこれだけの庇があの細い柱数本だけで支えられているのか不思議なのですが・・・.
そして,もうひとつ村野の建築といえば階段です.多くは優雅な自由曲線で描かれた階段ですが,あくまでも繊細で軽やかで,どうしてこんな美しいデザインが出来るのだろうと思ってしまいます.そう,村野の建築をみていると,どうして?どうして?の連続になってしまいます.
meguro03.jpg
今回はあまりいい写真が撮れていなくて,村野建築のすばらしさをお伝えできないのが残念です.いろいろと作品集がありますので,気になる方はそちらをご覧ください.ちなみに私は建築資料研究社発行の「村野藤吾のデザイン・エッセンス」全8巻というのを持っています.
meguro04.jpg
今年は金沢に行ってみたいと計画を立てたのですが,春先の涼しい時期には行きそびれてしまいました.涼しい釧路にいると暑さには耐えられない身体になっているので,夏の間は無理ですが,秋になったら実現したいと,自分に言い聞かせるようにここに記しておきます.

2006年07月27日

音楽の都ウィーン

今日も私の大好きな街を取り上げます.オーストリアの首都ウィーンです.この街は見所がありすぎて困ってしまうのですが・・・.
vienna07.jpg
ウィーンといえば音楽の都,これはウィーン国立オペラ劇場です.残念ながら私が行ったときウィーンオペラは日本に公演に行っていました.ですからフォルクスオパーのほうで,ヨハン・シュトラウスの「ウィーン気質」というオペレッタを観てきました.ことばは当然わかりませんが,とても楽しかったです.日本ではクラシック音楽はなんだかとても高尚なもののように思われているところがありますが,ウィーンでは誰もが楽しむ大衆芸能なのだいうことを実感しました.

今年はモーツァルト生誕250年にあたり,いろいろなイベントが行われているようです.モーツァルト大好きな私も彼がウィーンで住んでいた家に行って来ました.
vienna02.jpg
石畳の道の両側に古い建物が建ち並ぶ,ちょっと薄暗い感じのところでした.まさに映画「第三の男」に描かれるウィーンの雰囲気です.
シューベルトやブラームスのお墓を見に行ったら,映画のラストシーンに使われていたあの並木道に行き当たりました.
vienna01.jpg
ちょっと前に行われた映画検定にもこの場面が出題されていました.とにかく,情緒あふれる美しい画像がいっぱいの映画で大好きです.
そして,もう一ヶ所私がこだわりをもって見に行ったのが動物園の熊です.
vienna04.jpg
映画「ガープの世界」や「ホテル・ニュー・ハンプシャー」の原作者であるジョン・アーヴィングの小説「熊を放つ」の舞台がこのウィーンの動物園だったからです.
その他にも,大好きなクリムトシーレの絵もありますし,オットー・ワーグナーの美しい建築も多数あります.生きている間にもう一度行ってみたい街です.

2006年07月25日

間取りの手帖

不動産広告に載っている変な間取りを集めた本「間取りの手帖」はなかなか楽しい本でした.
madoribook.jpg
60年代を思わせるなんともレトロな装丁ですが,おそらく本のタイトルからいっても,硬派の婦人向け雑誌「暮らしの手帖」を意識してのことだと思います.

著者は自称・間取り収集家,"Madorist"の佐藤和歌子さんという若い女性です.おそらく首都圏の不動産広告から集めたのであろう99の間取り図が収集されています.戦前に建てられたような3帖一間の時代を感じさせるものから,現代風ビルのペントハウスにあるようなものまで,賃貸物件がユーモアに富んだコメントと共に紹介されています.

北海道の片田舎から東京の大学に進学することになって,最初にしたことが住むところを見つけることでした.大学がある高田馬場駅周辺の不動産屋を廻り,間取り図を見ながらアパートを探し回りました.おそらく4,5件は見て回ったと思います.その時私が思っていたのは,とにもかくにもお風呂付きに住みたいということでした.というのも,高校の3年間,実家を離れ賄い付きの下宿に住んでいたのですが,お風呂が無く銭湯に通っていました.それまで温泉のある家で朝晩お風呂に浸かっていた私にとってお風呂のない生活はかなり堪えていたのです.当時,東京でお風呂付きのアパートに住むというのはなかなかに贅沢なことでしたが,結局西武新宿線の田無という駅から徒歩で15分ほどのところにあるアパートを見つけました.多少駅から遠くてもお風呂付きにこだわったのです.近くに東京大学農学部の農場があるのどかなところでした.最初の家賃は4万円ほどだったと思います.
madori 02.jpg
これがその時住んでいた部屋の間取りです.もちろん普段の業務ではこのような図面は描きませんが,今回は不動産の広告風にネットでダウンロードできる間取り作成ソフトのお試し版で作りました.1階・2階共にに2部屋の小さな木造アパートでしたが,隣や上の部屋の音がけっこう聞こえるのが苦痛でした.おまけに東側窓も開けるとすぐ手が届きそうなところに隣のアパートの窓がありました.学生の一人住まいとしては広いと思われるかもしれませんが,建築学科の学生は家で図面を描くのにドラフターという大きな製図板が必要だったので,けっして余裕はありませんでした.結局,大学時代とその後就職した時の計6年間をこの部屋で過ごしました.何年か前東京に行った折にこの部屋を見に行ったことがあります.窓の外から覗くと借り手が無く空き部屋になっていましたが,あまりしつこく覗いていると怪しい人に思われそうで,そそくさと立ち去ってきました.

「間取りの手帖」に載っているのはアパートやマンションの一室を切り取ったものですが,これらをながめているとその部屋が収まっている建物全体の様子に思いをはせてしまいます.法規的な斜線制限でこんなルーフバルコニーになったんだろうなぁとか,階段やエレベーターなどのコアはこのあたりかなぁなんてことをついつい想像してしまいます.そして北海道ののびのびした環境にいると,いかにも過密化した都市の特殊解としての間取りばかりのように思います.

2006年07月24日

アイランド式キッチン

アイランド式キッチンとは文字通りキッチンカウンターが島状になっているものをいいます.つまりキッチンカウンターが壁に接していなくてその廻りをぐるりと回れる状態の配置です.通常は吊り戸棚などを付けないでオープンな感じを保つようにすることが多いように思います.
ilndktn03.jpg
画像はKG邸のものですが,ここではカウンターの幅を広くして食卓も兼ねるようにしています.

このような場合,気を付けなければならないのは椅子の高さです.通常の食卓テーブルは高さが70センチ前後で,それに合う椅子の高さは座面の高さが40センチ前後のものです.一方,キッチンカウンターの高さは80~90センチが標準です.かつては80センチが主流でしたが,平均身長が伸びたことなどもあり,現在メーカー製システムキッチンの標準は85センチとなっています.一般に机と椅子の高さの関係は机の高さマイナス30センチ前後が使いやすい椅子の高さとなります.ですから,キッチンカウンターで食事をしようとしたら,座面の高さが50センチ以上のかなり脚の高い椅子を使わなければなりません.
ただ,椅子は低い方がゆったりくつろぐ感じになりますし,高い椅子だとそそくさと食事をすます感じになります.状況によって使い分けられるといいかもしれません.
ilndktn02.jpg
これは我が家のアイランド式キッチンですが,市販のシステムキッチンを使っています.このタイプは壁にくっつくことが前提になっているので背面が化粧になっていません.ですから1メートルほどの高さのライニングをL型にまわし収納を兼ねています.
ilndktn01.jpg
食卓側から見るとこのように収納になっています.食事の時のランチョンマットや割り箸等がすぐ取り出せるし,ライニングの上も出来た料理のお皿を載せたり出来て便利です.

アイランド式キッチンで悩ましいのはレンジフードをどうするかという問題です.
kz100.jpg
画像のようなセンタータイプのレンジフードもありますが,天井にレンジフードがあるとどうしてもせっかくの開放感が損なわれてしまいます.そのようなわけで,KG邸も我が家もシロッコファンの天井扇で済ませていますが,これだと炒め物をしたときなどの煙がどうしても拡散してしまいます.ただ,レンジフードを付けたからと言って煙をすべて吸い取ってくれるわけではありませんし,特に最近採用することの多い電気のIHヒーターだとさらに煙は拡散しやすいので,天井扇でもいいやというのも選択肢のひとつかと思っています.
アイランド式キッチンのもうひとつの良さは,複数の人で調理するときに動きがしやすいと言うことです.袋小路になっていないので重なり合わないでキッチンを出入りできます.ご夫婦で一緒に料理をする機会が多い場合にはいいかもしれません.ちなみに我が家では私がほとんど調理していますが・・・.

2006年07月22日

釧路根室圏総合体育館

いよいよ釧路根室圏総合体育館の建設が始まります.
ksrtikan.jpg
これまで釧路の総合体育館というと画像の釧路市厚生年金体育館でした.しかし,1963年の建設と老朽化が著しく規模も小さいことから各種競技の全国大会の誘致もできず,新しい総合体育館の建設が望まれていました.

私にとっては子供の頃,この体育館でロシアのボリショイサーカスを観た記憶がとても印象強く残っています.おそらくサーカスというものを生まれて初めて観たからだと思います.熊が芸をしたり,ピエロが笑わせてくれたり,もちろんハイライトは空中ブランコでした.妻はここで宝塚歌劇団の「ベルサイユの花」を観た記憶があるといっていました.体育館とはいえ,市民文化会館が出来るまではそうした各種公演やイベントによく使われていたようで,釧路市民にはなじみの深い建物です.ただ最近は機会が無く中に入ったことがありません.

今回の新しい体育館の計画については,さまざまな紆余曲折がありました.当初は道立の体育館を目指していましたが,北海道も財政が厳しい中,2003年に道立を断念し,釧路管内の自治体が建設主体となり国や道の補助を受けながらの建設と方向が変わりました.

私も含めた釧路の設計者からも,地場産木材を活用した木質架構による建設の提案をした経緯があります.その提案作業をした際,見てきたのが所沢市民体育館で,設計は坂倉建築研究所です.
tkztkan.jpg

昨年,上戸彩が主演したテレビドラマ「アタックNo1」でも撮影に使われていたので,ご覧になった方も多いかもしれません.メインアリーナの中にはいると杉材の立体トラスでおおわれた空間は何ともあたたかく優しい印象で,素晴らしい体育館でした.第2回 木質建築空間デザインコンテスト最優秀賞にも選ばれています.
通常,この手の大架構には集成材などのエンジニアドウッド(Engineered wood products,EW)と呼ばれる木材を加工し品質を均質化したものを使うのですが,所沢市民体育館の特徴は地元でとれた無垢材の杉を使っている点です.木材を構造材として捉えたとき,よく問題になるのがそのその品質のばらつきですが,品質にばらつきがあるのは鉄でもコンクリートでも一緒で,要は検査によりその品質の最低ラインをきっちり管理し,そのばらつきのある性能を見込んだ中で安全性のある設計をすればいいわけです.木構造だから信頼性に欠けるとの思いこみは時代遅れです.

残念ながら釧路根室圏総合体育館では木質架構は取り入れられませんでしたが,素晴らしい建物になることを期待しています.完成は2年後の2008年です.

2006年07月21日

ウィスキー蒸留所

スコットランドのウィスキー蒸留所ではもちゃんと「検疫部長」という役職をもっているそうです.というのもウィスキーの原料である麦芽をネズミから守る役割をしているからです.
scots01.jpg

そもそも蒸留所巡りをしようと思ったきっかけは余市町に関する仕事でした.余市町は言わずとしれたニッカウヰスキーのおひざ元です.設計の条件に「スコットランド風にせよ」とあり,スコットランドについて調べていると必然,蒸留所について知ることとなりどうにも行きたくなったのです.ちょうどそれまでの勤めを辞めて独立するタイミングで,思い切って行くことにしました.
scots02.jpg
蒸留所につきもののとんがり屋根に笠をかぶった建物は,泥炭の一種であるピートを燃やしてその煙で麦芽を燻すことに使います.ウィスキーのスモーキーな香りに欠かせない工程です.スモークされた麦芽は加水され醗酵し,その後蒸留されます.
scots03.jpg
画像のポットスティルと呼ばれるものが蒸留器です.さらに樽に詰められ熟成されます.
余市のニッカ工場もそうですが,スコットランドの蒸留所もたいがい見学が出来ます.そしてひととおり見学をし終わった後にはお疲れ直しにそこで作っているシングルモルトを飲ませてくれます.食べ物は何でもそうですが,作っているところで食べたり飲んだりするのが一番です.作り手も「どうだ!うまいだろう!」という気迫がこもっているので,こちらも「うまい!」となってしまいます.
シングルモルトの蒸留所は大概,山奥にあります.ですからツアーではなく個人で廻ろうとした場合にはレンタカーを利用するのがお薦めです.イギリスは日本と同じ左側通行なのであまり違和感はありません.ただ,ロータリー状の交差点だけは注意が必要です.それと,当然ですが飲酒運転にはくれぐれもご注意ください.


2006年07月20日

ペットと暮らす

私には5匹!?のアシスタントがいます.1匹のワン級建築士(ラブラドール・レトリバー犬)と4匹のニャン級建築士(いずれもミックスの猫)です.室内飼いをしているので,毎日掃除が大変なのですが・・・.
犬はともかく,と一緒に暮らすにはちょっとした工夫が必要になります.というのも彼らは爪を研ぐ習性があるからです.
cats05.jpg

この画像はこまめやさんに提供していただいたものですが,窓の網戸に格子を入れた様子です.通常の網戸はネコちゃんにとってよじ登ったり爪を研いだりの格好の対象で,すぐにボロボロになってしまいますが,このように細かい格子に網を張るとそれが防げます.
もうひとつ,壁の仕上げも考えなければなりません.以前私が住んでいた借家は壁の仕上げがほとんどビニールクロス貼りでした.これもネコちゃんにとっては爪研ぎの対象になります.おかげでその家を退去する際,クロスの貼り替えで結構な出費を強いられることになりました・・・.
cats02.jpg
私が今住んでいる家の壁はしな合板,OSB,構造用合板とまるでローコスト住宅の典型のような仕上げですが,これだと爪を研がれることがありません.加えて爪を研ぐ場所を用意してあげると効果的です.我が家では画像のように独立柱に麻のロープを巻いています.ネコちゃん達はそこでおもいっきり爪を研げますし,画像のようによじ登って遊ぶことも出来ます.
cats03.jpg
この画像は階段の踊り場の下を利用してトイレ置き場を設けた様子です.それに踊り場の小さな窓は,きっとここがネコの見張り場所もしくは昼寝場所になるだろうなぁと考えながら作ったのですが,実際にそうなっていることを知り,とても嬉しくなりました.

2006年07月19日

美しいオアシス都市へ

タイル続き(とはいえ,ちょっと乖離がありますが・・・)で今日はイスラム建築モザイクタイルです.イランのイスファハンは私が訪れたなかでももっとも美しい街のひとつです.特にイスラム教の礼拝所であるモスクの青磁のタイルは,砂漠の中のオアシス都市という状況にあいまって息をのむような美しさです.
ifn02.jpg

画像は街の中心にあるイマーム広場に面して建つマスジェド・エ・シェイクロトフォラー という建物です.おもいっきり舌をかみそうな名前ですが,当然のことながら覚えていたわけではなく,ネットで検索して調べました.これは夕暮れ時に撮影したのでやや赤みがかっていますが,基本的には青磁のモザイクタイルで覆われています.
ifn03.jpg
正面入り口部分を見上げたのがこの画像です.イスラム教では偶像崇拝を禁じたことから,建築における装飾は人物や動物ではなく植物やコーランの文字をモチーフ(素材)にしてきました.幾何学的な形態と緻密なモザイクタイルの文様は,その背景にあるイスラム教の神髄にはとうてい理解が及びませんが純粋に美しいと思います.
ifn01.jpg
特に圧巻は中央ドームの天井です.この画像ではその本当の美しさが伝えられなくて残念です.

このコラムは日々の出来事を綴るブログと言うよりは,私がこれまでに大切にしてきたもの,美しいと思ったものについての経験を整理するデータベース作りという気がしています.私にとってとても大切な記憶を今日はつれづれに思いながら,このコラムを細々とでも続けていけたらと考えています.

2006年07月17日

手作りは楽しい

今回は手作りタイルを紹介します.画像は「お宿かげやま」の玄関に張ったタイルです.
kgtile01.jpg

このタイルを製作したのは釧路にある「加賀谷ブリック」という会社です.この手作りタイルは,一般的な磁器タイルのように焼いているのではなく,樹脂が固まって出来ています.ですから顔料を加えることにより,いろいろな色のタイルが作れます.
タイルのデザインは私の妻が担当しました.まずは彼女のデザインを元にタイルの色出しをしました.それが出来たところで,模様の入ったタイルを製作します.タイルの樹脂を流し込む型枠と台紙がセットになったものを用意してもらい,そこに妻が砕いたタイルで模様を入れていきます.あとはそこにベースになる樹脂を流し込んで固まると,写真のような模様入りのタイルが出来上がります.
kgtile02.jpg
玄関の他にお客さんが食事をするホールの部分にも300角とやや大きめのタイルを張っています.こちらはテラコッタ風の色合いにしました.
なにせ手作りなので精度にややばらつきがあったりしてラフな仕上がりになりますが,それもまた味わいです.とにかく手間はかかりますが,地元でこういうすばらしい技術をもった会社があって,そこの人たちと一緒にオリジナルのものを作っていくというのは,なんとも楽しいことです.

2006年07月16日

タージ・マハール

世界遺産にも指定されているタージ・マハールは間違いなく世界でもっとも美しい建物のひとつです.
tm01.jpg
インドの西部,アーグラーという街にあります.ムガール帝国の皇帝が愛するお后の死を悲しみ,その棺をおさめるために建てた霊廟(お墓)です.何ともすごいお墓を建てたものです.

tm02.jpg
建物はすべて白亜の大理石で出来ています.しかし,都市化の影響による酸性雨のせいで劣化が進み,私が見に行ったときも足場が組まれて補修工事がされていました.大理石は酸に弱いので,外部に使うには注意が必要な材料です.といいつつそうそう使う機会のある素材ではありますが・・・.
この建物,もっとも美しいのは満月の夜,月明かりで見る姿だといわれていて,その夜だけは夜間も入場が許されています.そして,何とも幸運なことに私がこの街に行ったのが満月の夜でした.たしかにそれは何とも幻想的な美しさでした.
しかし,死後たくさんの人が訪れるところに眠るというのもなんとも落ち着かないような気もします.
tm03.jpg

2006年07月13日

月曜塾

今日はこのコラムにたびたび登場する月曜塾についての説明です.月曜塾は釧路の建築設計者の勉強会的な集まりで,現在は18名の会員がいます.毎月第2と第4月曜日の夜に定例で集まるので月曜塾といいます.同業者同士の勉強会とはいえその活動は古建築の調査や街づくり活動への参加など多岐に渡ります.設立は1985年で昨年,20周年の記念事業を行い,ことし21年目となります.
getsuyouzyuku.jpg
この画像は2004年に地場産木材の活用についてもう一度勉強しようと,浜中町の道有林に伐採現場を見学に行ったときのものです.

私たちの業界には建築士会や建築設計事務所協会といった組織がありますが,組織が大きすぎたり,参加している立場が様々(専業の設計事務所もそうではない建設会社も一緒)だったりでそれほど活動が活発とは言えないように思います.その点,20人前後で原則専業の設計者の集まりである月曜塾は何をするにも意志の疎通が容易ですし小回りが利きます.
月曜塾では作品展や見学会(オープンハウス)等を通じて他の設計者の仕事を見たり,例会では様々な意見交換をします.釧路のような地方都市で建築の設計に携わっているのは私も含めほとんどが一人・二人の小規模事務所ですが,他の設計者の仕事,考え方に接することの出来る月曜塾のような存在はとても貴重だと思います.
昨年の20周年を記念して,それまでの活動をまとめた記念誌を作りました.まだ在庫がありますのでもし興味のある方はご連絡ください.また,釧路で設計をしていて月曜塾に参加してくださる方も大歓迎です.

2006年07月12日

聖ミカエル教会

札幌に巨匠アントニン・レーモンド設計の建築があります.写真の聖ミカエル教会です.
sm01.jpg

私がこの建物に出会ったのは偶然のことで,もう14,5年前,まだ札幌の設計事務所に勤めていたときのことです.春先の湿った雪が降った日曜日で,足下が悪い中,どうしてそこを歩いていたのかは思い出せませんが,ふと見ると何とも魅力的な教会の前にいました.気になって入り口のあたりから中をうかがっていると,中にいた女性が気が付いて出てきてくれたので,中を見学させていただけませんかとお願いしたら快く承諾してくれました.
sm03.jpg
丸太で構成されたトラスの力強い架構が印象的です.素朴な中にも神秘的な精神性を感じさせる空間でした.家に帰ってから調べてみて初めてレーモンドの設計であることを知りました.
今回の写真は昨年月曜塾の仲間と「清家清展」を見に行ったときに,この教会を見学してきた時のものです.
sm04.jpg
後で知ったことですが,この建物は雪の多い札幌の気候を強く意識して設計されたそうです.そのせいかどうか,私にとっては雪の日に初めて出会ったときのこの名建築のたたずまいがとても印象に残っています.

2006年07月10日

再びサッカースタジアム

サッカーワールドカップドイツ大会2006もいよいよ決勝戦です.そんなわけでふたたびヨーロッパのサッカースタジアムの写真をアップしました.スペイン・セビリアサンチェス・ピスファン・スタジアムです.
sps .jpg

このスタジアムは1982年のワールドカップスペイン大会で伝説の試合となっている西ドイツ対フランスの試合が行われた舞台です.フランスはプラティニ,西ドイツはリトバルスキーが活躍しました.
正直に言ってスタジアムそのものの記憶はほとんどありません.ただ,その後ドイツのミュンヘンでもサッカーを観たわけですが,応援の仕方が違うのは印象的でした.スペインもかなり熱狂的に応援しますが,個人が自由に盛り上がっているのに対し,ドイツでは組織的に声を合わせた応援をしていました.どこか日本でもよく見られる集団意識というものを感じてしまいました.
svra.jpg
セビリアはスペイン南部の歴史ある都市ですが,古くはローマ帝国の遺跡があり,その後アフリカからゴート人が入ってきてイスラムの建物が建てられ,レコンキスタによってキリスト教徒が奪回した土地です.フラメンコの本場でもあります.建築的にはパティオの気持ちよさが記憶に残っていますが,これについてはまた整理してアップします.

2006年07月07日

パンテオン

映画「ダ・ヴィンチ・コード」が話題になっていますが,その原作者ダン・ブラウンの「天使と悪魔」という本もとてもおもしろいです.新しいローマ教皇を選出するコンクラーヴェを機にヴァチカンとローマ市内を舞台に物語は繰り広げられます.去年この本を読み始めた時,実際にローマ教皇の交代があり,とても興味深く思いました.
舞台のひとつに登場するのが写真のパンテオンです.
ptn01.jpg

ここに足を踏み入れたときの驚きと感動は今でもよく覚えています.静謐で厳粛な空間.求心性の高い円形の平面と断面.ドームの頂点に丸い開口があり,そこからの光が空間全体に広がります.それは私がそれまで体験したどんな建築空間とも違うものでした.
ptn02.jpg

ptn03.jpg
さらに驚くことはこの建物ができたのが2世紀初頭だということです.イタリアを旅していると西洋建築の原点はこの国にあることを実感します.
サッカーワールドカップでのイタリアの活躍を見て,今日はイタリアの建築を選びました.

2006年07月04日

敷地を見に行く

設計を始めたらまず最初にすることが,クライアントと一緒に敷地を見に行くことです.(もちろん,設計の依頼を受ける前に一緒に見に行くこともあります.)なんともわくわくする楽しい瞬間です.また,早い段階でクライアントと敷地の状況について思いを共有しておくことは重要です.設計中,考えが行き詰まったり迷ったりしたときも再び敷地に足を向けます.「住まいづくり」の中にも記しましたが,敷地の条件を読むことは設計の出発点であり基本です.
KG邸敷地

写真は鶴居村にある「KG邸」の敷地に最初に行った時のものです.道道に接した約6000坪弱の敷地ですが,なだらかな斜面になっています.クライアントは当初,道路からあまり遠くない斜面の途中に家を建てる考えだったようですが,二人で斜面の頂上まで歩いてみて,やっぱり一番眺めがいいからそこにしようと決めました.周辺の眺め↓
KG邸からの眺め
問題はアプローチの道路が長くなることと,冬季の除雪をどうするかということでした.このような取付道路は,土木を専門にしている会社に依頼すると,公共工事ベースのとてつもない金額の見積書が出てきます.そこで土木現業所への申請は私がすることとし,工事は土木が専門ではない会社と交渉し格安でやってもらうことにしました.また,除雪は結果的に近所の農家の人に,周辺の道路のついでにやってもらえることになりました.
私の大好きな建築家・吉村順三は,よく敷地でやぐらを建てて2階レベルからの眺めを確認していたそうです.NHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも出演していた建築家・中村好文氏との対談集「吉村順三 住宅作法」(世界文化社)にそうありました.この本,今アマゾンでは品切れになっているようですが,吉村順三の考えを中村好文がうまく聞きだしていてとてもおもしろい内容です.今また読み返してみたら,私の敷地に関する文章もほとんどが吉村順三のことばの受け売りだったことに気が付きました.大巨匠のことなのでお許し願えると思います.
吉村順三 住宅作法

2006年07月03日

釧路湖陵高校同窓会館

先日,私の母校である釧路湖陵高校同窓会館に行って来ました.今年は私の学年が同窓会の幹事を担当する年で,その幹事会が同窓会館であったのです.
kdk01.jpg
この建物の設計者が1960年に湖陵高校を卒業している毛綱毅曠(もづなきこう)氏です.

毛綱氏の建築は釧路周辺に多くあり,どれもとてもユニークなものです.特に釧路市立博物館釧路市湿原展望台などの1980年代初頭の設計で1985年の日本建築学会作品賞も受賞している偉大な建築家ですが,2001年に59歳という若さでこの世を去っています.私も高校在学中からこの偉大な先輩のことは知っていました.残念ながら,直接お会いしたことはありませんでした.
kdk02.jpg
この同窓会館ですが,私が中に入ったのは今回が2回目です.昨年の暮れに月曜塾の仲間と見学したのが最初です.旧約聖書にある「ノアの箱船」がモチーフになっているそうです.実はこの建物,竣工したのは1996年とかなり以前ですが,諸般の事情により長らく使われない状態が続いていました.最近になって,かつての校舎の資料を展示するスペースに改装され少しずつ使われるようになったようです.長らく使われなかった事情については,計画段階に私は釧路にいませんでしたし同窓会の活動も知りませんでしたので,何ともいえません.ただ,結果的にボタンの掛け違いといったことが起こり,不測の事態になったようです.私たち同窓生がこの建物について堂々と語れないのは何とも残念です.
毛綱建築を体験するとき,いつも私が突きつけられるのは「建築とは何か」という根元的な問いです.近代の合理性や機能を重視する考えに反し,毛綱建築は宗教的なあるいは形而上的な観念を建築で表現しようとし,社会との関連性よりはそれ自体の造形美を追求しているように思います.私はかつて海外に行って異質な文化に触れながら,あらためて日本という自分の国の文化について考えさせられたという経験がありますが,毛綱建築を見ることは同じような感じです.異質なものに触れて,あらためて自分のアイデンティティーについて考えてしまいます.そして,どんなさまたげがあっても自分の信じるものを作りきるその強さに敬服します.