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2007年05月28日

「地材地消住宅」完成見学会のご案内

建設段階でも見学会をした,できるだけ地元の木材を使ったTY邸が今週いよいよ完成するので,広く一般の方々に見ていただきたく,一般公開する事となりました.
日時:平成19年6月2日(土)・3日(日)の2日間
時間:午前10時~午後6時
場所:川上郡弟子屈町美留和465-3

    (国道391号線沿い・さけますふ化場近く.国道の敷地入り口にのぼりが立っています.)
PDFファイルによる案内図のダウンロードはこちらからどうぞ
お問い合わせ先:MOBI(モビ)建築・都市研究所 辻谷 0154-55-0615
            株式会社イー・ワークス 芳賀      0154-23-5960

室内
今回の住宅では柱・梁等の構造部材の多くに,国有林のパイロットフォレスト(標茶町・厚岸町)産からまつの無垢材や集成材を使っています.しかもボードに覆われることなく表しのままの部分がありますので,その美しい色合いや木目がご覧いただけます.その他,外部の板張りには厚岸町の道有林産とどまつを,内部の壁仕上げには津別町で生産しているからまつの合板を使用するなど,地場産の木材にこだわり,木の柔らかさ・あたたかさ・やさしい香りいっぱいの建物となっています.住宅に使用している全木材のうち,8割あまりが道産材です.

外観
スローフード運動のように,地元の食材を地元で消費しようということを「地産地消」と言いますが,「地材地消」はこれを木にあてはめ,地元の木を地元で消費しようという考えです.その背景には,環境負荷の軽減や地域雇用の確保,森林・流域の自然保護,地域循環型経済を目指すといった考えがあります.
これまでは,梱包材などにしか利用されなかったからまつですが,これからは住宅における主要構造材として十分な性能と耐久性・信頼性をもつ素材である事を知っていただき,地域材の良さを体験していただければと思います.

2007年05月24日

浄化槽

間もなく竣工のTY邸では浄化槽が設置されました.公共の下水道がないところでくみ取りではなく水洗トイレにしようとすると,浄化槽を設置することになります.以前はトイレの汚物だけを処理する単独処理浄化槽と,それ以外の台所の排水なども一緒に処理する合併処理浄化槽の2種類がありましたが,今は法律により合併処理浄化槽に一本化されています.
浄化槽

一般住宅の場合,延べ床面積が130㎡(40坪)以下の場合,5人槽という大きさの浄化槽を設置することになり,延べ床面積が130㎡以上だと7人槽となります.ただし自治体により住宅の延べ床面積が大きくても実際に居住する人の数により設置基準が緩和される場合があります.また浄化槽の設置について補助金が出る自治体もあります.
浄化槽の原理を簡単にいうと,固形物を沈殿濾過しさらに微生物で有機物を分解し,浄化します.酸素の助けを受ける(好気性)バクテリアを活用することから浄化槽内に空気を送り込むブロアーポンプを近くに併設します.メンテナンス(維持管理)は専門の業者と契約することになります.年に3・4回,点検に来てくれます.ごくごくまれですが,居住者が服用した薬が浄化槽内のバクテリアを死滅させ浄化槽が機能しなくなることがあるようです.また,汚泥もたまったら除去しなければなりませんので,メンテナンスは必須です.
北海道の地方のように人口密度の低いところでは,公共下水道よりも各戸単独の浄化槽を設置する方が維持管理費の上でも適しています.釧路管内では鶴居村が浄化槽の設置について補助をしていますが,他の自治体も取り入れてもらいたいと思います.

2007年05月17日

校舎の思い出

3月末の「地産地消モデル住宅・見学会」の時,弟子屈中学校に立ち寄り,から松の集成材でできた天板の机を見てきました.これも道産材普及のための補助事業です.弟子屈中学校は私の母校で,中に入ったのは卒業以来ですから29年ぶりのことでした.弟子屈町のウェブサイトによるとこの校舎ができたのが1968年で,私が通っていた時点で築10年ほどだったことがわかりました.当時私が通っていた小学校はまだ木造で暖房も石炭ストーブでしたから,鉄筋コンクリートでスチーム暖房の中学校はとても新しく感じました.
から松の机

弟子屈中学校外観
久しぶりに訪れた校舎でしたが,あまりなつかしいという思いがわきませんでした.おそらく鉄筋コンクリート造の校舎は使われている材料が工場で大量生産されるいわゆる「新建材」といったものばかりで,経年変化の少ない味気ないものでできているからかもしれません.

私が通った校舎のうち,弟子屈小学校は建て替えられ現存しませんし,釧路湖陵高校も別の場所に移転して無くなりました.でもかつての湖陵高校の校舎はとてもなつかしく思い出します.とにかく古い校舎でした.それ以前の校舎が焼失してあわてて建てたようなので,かなりいい加減な部分もあったようです.鉄筋コンクリートと木造の部分が混在していました.暖房は石炭によるいわゆる「ルンペンストーブ」でした.窓は木製で,冬の風の強い日は粉雪が隙間から舞い込んでいました.くみ取り式のトイレは今では想像を絶するような悲惨な場所でした.
湖陵高校旧校舎の模型
画像は湖陵高校同窓会館にある当時の校舎の模型です.同窓会館にはかつての校舎の備品等が保存されているのですが,その中でとてもなつかしく思ったのが階段の親柱と職員室にあった鍵の保管箱です.私は山岳部に所属していましたが,その部室は階段の踊り場の下にありました.ようやく頭が着かないほどの低い天井のもともとは物置だった部屋です.そこに出入りするところにあったのが画像の手摺の親柱で,そして部室に出入りするたびに職員室に行って鍵を出し入れするのが,画像の保管箱でした.これらを見たとき,本当になつかしさで気持がいっぱいになりました.木製の柱は時の流れがしみ込んでいますし,鍵の手書きの名札も味わいいっぱいで,それらが記憶に深く結びついているのだと思います.
階段の親柱
鍵の保管箱
この春,弟子屈中学校を卒業していった若者達もいつの日か木目の美しいから松の机をなつかしく思い出す日があるのだと思います.

2007年05月13日

軽井沢の教会

軽井沢には早くから外国人宣教師が入ったこともあり数々の教会があります.「聖パウロカトリック教会(旧聖ポール教会)」はアントニン・レーモンドの設計です.札幌にある「聖ミカエル教会」と比べると丸太で構成されたトラス構造など共通点が多くありますが,ひとまわり小さいかわいらしい教会です.元来ヨーロッパの出身であるレーモンドが設計したキリスト教会でありながら,どことなく日本的な自然観がただよう空間になっています.
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「現代日本建築家全集1 アントニン・レーモンド」にある三沢浩さんの解説によると,レーモンドはこの教会の建設に当たり,最初に設計図を作ってあたったわけではなく,地元の大工さんとやりとりを交わしその技術を生かしながら造っていったそうです.建築とは設計者が卓上ですべてを決めるのではなく,作り手と一緒に,その地の材料や技術を駆使して造っていくものだということなのだと思います.
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もうひとつ印象的だったのが宿泊したホテルブレストンコートの敷地内にある「石の教会」で,こちらはケンドリック・ケロッグの設計です.ある意味,建築の一般的概念を乗り越えたような造形です.ホテルの敷地内にあることからもわかるように,結婚式(ブライダル)に使われることが多いようで,アプローチの演出等工夫がこらされています.石を主体にできている原始的な,それゆえ大地の一部と思われるよな造形は,結婚という厳粛な儀式の場としてはとても好ましいように思いました.
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2007年05月05日

軽井沢山荘

4月の末,たまっていたマイレージを使って,連休前のまだ静かな軽井沢に行って来ました.こぶしの白い花が満開で,桜も咲き始めていました.
軽井沢に行こうと思った理由のひとつが画像の「軽井沢山荘」をぜひ見たいと思っていたからです.吉村順三設計のあまりにも有名な名作です.今までに何度も図面は見ていますし,いろいろな本で写真も見ていました.長年恋いこがれていたあこがれの人に会いに行くようなものです.ただし,個人の住宅なので敷地の外からそっとうかがうだけでしたが,それで充分でした.私にとってはその建物がどんな場所にあるのかそれを体験できればそれでいいと思いました.
軽井沢山荘

この小さな山荘についてはたくさんの書籍で紹介されていますが,もっともわかりやすくまとまっているのがこの本小さな森の家 軽井沢山荘物語 吉村順三著だと思います.
ただちょっと残念だったのは屋根に針葉樹の落ち葉がたくさんたまっていて,長い間使われていないような風情だったことです.針葉樹の葉はそのままにしておくと屋根の鉄板が錆びる原因になりますし,何より使わない家は傷みが進行します.この家のファンはたくさんいますし,もとより文化遺産といってもいいほどの価値ある建築なので,ぜひ末永く管理されるように願います.余計なお世話かもしれませんが・・・.

軽井沢には学生の頃,追分にある大学のセミナーハウスに行ったことがあるのですが,いわゆる旧軽井沢のお店や別荘が建ち並ぶあたりには行ったことがありませんでした.その当時は在来線でしたので東京から軽井沢に行くにもけっこう時間がかかりました.たぶん3,4時間はかかったと思います.途中の横川の釜飯が楽しみではありましたが・・・.今回は長野新幹線で,東京駅から1時間10分あまりで着きました.あっという間です.
軽井沢というと日本でももっとも歴史ある避暑地・別荘地です.今回は旧軽井沢から万平ホテルにいたるあたりの別荘地を歩いて,その雰囲気を知ることができました.残念ながら長いこと使われることもなく朽ち果てる寸前の建物も多く見かけました.
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新幹線の駅の近くには西武グループが開発したスポーツ用品のアウトレットモールがあり,若い人でにぎわっていました.こちらは私も大学で講義をうけた池原義郎先生の設計です.軽井沢もかわりつつあるようです.
道東も飛行機を利用すると首都圏から以前の軽井沢と同じような時間で来ることができるので,これからは移住のみならず別荘地としての利用も多くなると思います.なにしろ本州の別荘地に比べると北海道は地価が安いし,それゆえ広大な敷地を持つことができます.自然も雄大です.
軽井沢の様々な別荘を見て,これからの道東の別荘についてあれこれ考えさせられました.できることなら,「軽井沢山荘」のように,凝縮された濃厚なスケール感のなかに質素でありながら広がりと優雅さを兼ね備えた建物を自分も作ってみたいと思います.